仕事柄、家に机は必要。親との同居を機に書斎を作った。もっとも、私に割り当てられたのは3畳。この3畳の書斎を守るため、苦しい戦いを続けてきた。
まず最初は、3畳の間に黒いピアノがわが物顔で幅を利かせていた。私は弾けもしないピアノと机の間の狭い場所に、腹を引っ込めながら申し訳なさそうに座っていた。そのピアノを何とか隣の部屋に追い出したのが5年前。
次に本棚が場所をとるのが気に入らなくなった。そして思いついたのが1間分の壁に本棚をぼっくりはめ込む方法。何度となく大蔵折衝を繰り返して、理想の本棚がついたのが4年前。
ところが、それと前後して何を血迷ったのかパソコンに手を出してしまった。これが案外場所を取る。プリンターの分まで含めると机一つ分は占領されてしまった。自分の才能のなさと機種選択の誤りに気付いて手放したのが2年前。
やっと少し広くなった。応接セットは無理でも、自分一人でゆっくり座る椅子でも買って、のんびりと本を読もう。
それもつかの間。今度は1年生になった娘がしばらくは隣にいたのだが、「ワタシお父さんの部屋がいい」と言いだしたから大変。譲ってしまってはせっかくの本棚が台無し。とうとう3畳に二人同居と相成った。イラクに侵攻されたクウェートほどではないにも、ダメージは大きい。再来年には弟も小学校に入学。どう考えても、守り続けてきた私の書斎も風前の灯。
せめて宝くじに当らんかのう。裏のミカン畑を買って12畳の書斎を作ってと。壁は3間分ぼっくり天井まで本棚にしてと。公民館長みたいな大きい木の机と、町長が座っとるような後ろから見たらおるやらおらんやら分からんほど背もたれが高い椅子と。ちょっと横になれるようなソファーがあったらのう。もう言うことはないがのう。仕事がはかどるがのう。
でも「日本人はやっぱ畳よ」と言いながら、居間の炬燵の上の新聞を横へ投げ飛ばして、その上で皮てんぷらを書いている。
以上は1990年11月7日、もう17年も前に夕刊うわじまの「皮てんぷら」の原稿。ネタが切れたわけではないが、私と書斎の関係の前半を正確に表している。