昨年の末に街角ウォッチングの愛好者のお話を伺った。
そのなかに「長浜大橋のグラマン砲弾の痕」の話と写真があった。初耳だった。「戦争を知らない我々だからこそ、このような戦争の傷痕を残し伝えなければならない」という主張にも賛同できた。
これは一度見に行こうと思っていた。幸い自宅へ帰る途中の昼間に時間がとれそう。前日偶然であったその講師に場所の確認をした。「見つけるのにちょっとしたコツがあるが、よく見れば見つかる。左岸側に多くある」とのことだった。
まず、新長浜大橋を渡って肱川の左岸を少し遡った。すぐに長浜大橋、つまり開閉橋の袂になった。しかし近くに駐車スペースがないので、長浜大橋を車で渡った。右岸で車を降りて、長浜大橋を歩いて渡った。
ここを歩いて渡るのは2回目だ。小学校の頃、祖父母と弟の4人で海水浴に来たことがあった。入口の門が竜宮城を思わせるような水族館も記憶の片隅にある。
注意深く何度も振り返りながら、川下の部分を確認しながら歩いた。中央を過ぎた辺りで、散歩と思しきお年寄りが追い越しそうになったので、思い切って尋ねてみた。「昔はよう分かったのやが・・・。向う(上流の方)から飛んで来たんやけん、こっち側の方が分かりやすいわい」と。「探してみます。ありがとうございました」。そのうち、「お~い、ここにあったぞ」。急いで走って行くと、厚さ5mm以上の鉄骨に人差指が入りそうな穴があいている。これか。きょろきょろしていると、周囲に沢山の痕があった。突き抜けているものや凹んでいるもの。2枚を貫通しているものもある。
長浜町誌あたりを調べたら、そのときの詳しい様子があるだろうなと想像できる。肱川あらし展望公園からの写真撮影とともにそれは私の今後の宿題だ。
とにかく60年前の事実。我々はしっかりと引き継いでいかなければならないと思った。