いろいろ経緯があって、土曜日に連れ合いがやって来た。汚い部屋を片付けてくれる。掃除をしてくれる。ありがたい。彼女に家の中を任せて、私は生垣の裾を切って、下に落ちている葉を片付けた。丁寧な作業は出来ないが、見違えるほど奇麗になった。ついでの家の周囲の除草もした。夏の間、生えるに任せていた。毎日見ていた隣人は何とも不愉快だったことだろう。反省。反省。
一段落した後で、トレイの掃除をしている連れ合いに「夕陽を見に行こうか」と言うと「行く!でも、これが済むまで待って」「それはええけど、夕陽は待ってくれんかも」。
急いで出発した。どうも西の空は曇っている。夕陽は駄目かもしれない。シーサイド公園に着いたのが18時前。薄く雲がかかっていたが、奇麗な夕陽が見えた。モニュメントの穴の中に夕陽が納まるように写真も撮った。
そして、暫くすると海に沈むまでに雲間にかくれてしまった。「奇麗。丁度良かった」と連れ合いが何時になく喜んだ。後日、若松進一さんのブログを見ると、若松さんも丁度この日ほんの少し離れた場所で夕陽を眺めて、写真を撮られていたことが分かった。ちょっぴり嬉しかった。