帰ったら、二人の若者が中心になって、友人の船が仕事で玉津湾に入るのを利用して支援物資を運搬を画策。宇和島の港から運ぶので協力してくれとSNSで発信して支援物資の協力を依頼したらしい。結局、その船に地区から二人乗り込むことに。私も。
幸い凪。40分くらいかかって宇和島の港。
数人の若者が支援物資を持って「玉津の人ですか」と確認し、支援物資手渡してくれる。それも次から次と。何人かに玉津に縁があるのかと尋ねるがそうじゃない人の方が多い。お礼を言いながらどんどう受け取る。
実際にどんどんどんどん。これええかと一瞬不安になるくらい。ありがたい。若者たちのネットのつながりって凄い。若い船長も「ちょっとした感動ものですね」。いやあんたも凄いって。船長の友人を私も大勢知っている。色々な縁があるものだ。
「あれ〇〇ちゃんやない」という知り合いの顔も。全くの偶然。
「もうすぐそこまで来とるんで待って」。企てた地元の若者の友人知人も大勢。「〇〇ちゃんによろしく」と。「元気ですから。ありがとうございます。結局、30人以上の方にご協力いただいたのでは。もっと多かったかも、ほとんどが若者たち。繰り返すがが若者たち凄い。
もう出発しよう。船長に促されてマイクで「ありがとうございました。おかげで助かりました。また何らかの形でお返しができるようにみんなに伝えます」と。手を振って見送ってくれる人たちに何度も帽子を脱いで禿げ頭を下げた。
途中にある吉田の半島の先端の集落に寄港。孤立しているとのこと。連絡が入っていて何人かが船に乗って必要な物を下す。子ども用の紙おむつは全く不要とのこと。支援物資が入っていないらしいので、食料を中心に。「これもいいですか」「かんまん。かんまん。遠慮しさんな」。五分の一程度ここで下しただろうか。
青年団のころ以来の久し振りの知人がいて「頑張ろうぜ」と言葉を交わす。ここでも見送りを受けて出発。今度はありがとうと手を振ってもらう。
そして法華津湾に入って宮の浦に。バケツリレー方式で集会所に。消防団と話がついていて、集会所で使えということらしい。「ありがとう。本当にありがとうございました」と船長と握手。素敵な若者だ。
後は再度土砂下しの手伝い。そのうちに停電が復旧したとの連絡。これは嬉しい。
17時に作業終了。家に帰ったら電機が来たので井戸水が使える。蛇口から勢い良く出る水が心地よい。うちの井戸水は呑めないが。湯船に井戸水を溜める。それを少し冷たいが我慢して頭から被る。身震いするほど気持ちいい。
集会所でお握りとおかずを少し頂き、帰宅。畑の茄子をオリーブオイルで焼いてポン酢をかける。ちょっと
日本酒。勿論フライパンは庭の井戸水で自分で洗う。
光回線が切断されているらしく地デジが見えないのが難点。でもだんだん日曜ん戻りつつある。後は水だ。
「支援していただいた皆様。ありがとうございました」。