牟岐の旅館を出発。

途中、海のきれいな場所。昔の地図では八坂八浜という名所だ。今はトンネルで国道が変わっている。昔の名残りの道も発見したが、ここでは省略。
今の海陽町、昔で言うと海部町、宍喰町を過ぎると高知県。東洋町の甲浦だ。ここは大阪と高知を結ぶフェリーの寄港地だったが今はこの航路も無いそうだ。
夕方近くになっていたと思うが野根という大きな集落に入った。何だか受け入れられ難い雰囲気を感じてここでの宿泊は諦めて、通過した。

これが失敗だった。地図で見ても次の集落まで10km以上ある。車で走っていても不安になるくらい。左手は太平洋に面した高い崖。右手は木々が覆い繁る山。その間に国道があるだけ。他に何もない。そしてだんだん日が暮れて来る。10kmというと2時間半以上かかる。心細くなって、泣きそうになって歩いていた記憶がある。
やっと人家の灯りが見えた頃は20時を回っていたのではないだろうか。道脇の家の軒先で寝ようとしていたら、こっちへ来いと言われ、近くのお堂のようなところで寝らせてもらった。疲れ果てていたので嬉しかった。この日は歩いたのは42.5km。フルマラソン並みだ。
その集落は入木というところだ。入木橋というのを見つけた。


よく見ると昭和46年完成とある。昭和で言うと50年のことだからこの橋を渡ったのだろう。この国道も完成していたのだろう。国道から中に入る道があったので行ってみると、お堂のような建物。

仏海庵というらしい。窓ガラスには「申し訳ありませんが、こちらでは宿泊できません」の張り紙。

と言うことは、泊まらせてという人がいるからに違いない。お遍路さんが多いから。或いは、泊まらせてあげていた時期が過去にあるのかも。
通りかかったおじさんに聞いたら、古いお堂が新しくなったことだけは分かった。多分ここだろう。私がお世話になったのも。
翌朝早く、ドライブインの駐車場に座っていたら、30歳前の男性が車を止め、「私も若い頃は旅をした。朝ごはんはまだだろうからウチで食べて行け」と言っていただいた。朝食をご馳走になり、お握りも持たせてもらって、元の場所へ送ってもらった。
この方には次の年の2月に安芸まで来た時に足を伸ばしてお礼の甘夏を届けた。
ただ今になっては家は忘れてしまっている。
7日目は前日の無理がたたってか20kmちょっとしか歩けず、室戸岬の最御崎寺のユースホステルに泊まった。初めてのユースホステルで緊張したが、心配していたセレモニー的なものはなかった。
室戸岬の大きなびっくりするような弘法大師像。


その先が岬。でもどこが先っぽか私には分からない。中岡慎太郎。桂浜の坂本龍馬の方を見ているらしいが霞んで見えない。

で、最御崎寺。真っ直ぐに宿坊に。売店で話を聞く。今ユースホステルの営業はしていないらしい。許可を得て写真を撮っていると。ここよ。

こんなお寺の入口のようなところから入った記憶がある。ここだろう。
その後、24番札所最御崎寺と灯台に。



43年前の旅はここで挫折。まだ予定の半分も来てないのにバスと汽車に乗ったらその日のうちに自宅に着いた。この200km余りで、スニーカーの底に穴が開いた。