嵐のサインの偽物が出たらしい。沢山のサインを偽造して販売して、逮捕されたらしい。
そのニュースを見ていて思い出した。
「昔、星野仙一のサインボールが当たってのう」「それ、今もあったら凄いのに」「あるぞ」。
書斎の本棚に今も置いてある。多分、星野仙一と書いてあって、その下に20がある。勿論、中日ドラゴンズのエースとして中日のエースナンバー20を背負って活躍していた頃のものだ。
私は昔は大のドラゴンズファンだった。
昭和49年の優勝が一番印象的だ。大洋とのダブルヘッダー。一試合目をミラクル投法の松本幸行で勝ってマジックが1に。星野仙一がフォーミングアップしているところで、テレビ中継が終わった。勿論、ラジオにかじりついた。そして、与那嶺監督の胴上げ。
強い巨人に目の色をかけて立ち向かう星野仙一が特に好きだった。
24歳の時だと思う。
新幹線の中で拾って読んだスポーツ新聞に、「星野仙一サインボールプレゼント」というのがあった。破ってその部分だけ持ち帰った。
そして、それに応募した。
忘れた頃に、サインボールが届いた。印刷のような感じがしないでもなかったが、嬉しかった。それから、ずっと大切?に保存している。
しばらくして、高校の同級生で漁業をしている友人と世間話をしていると、「不思議なことがあってのう。全く心当たりが無いのに、星野仙一のサインボールが送られて来たんよ。そう言えば、お前はドラゴンズのファンやったいのう」。
思い出した。その時、私の名前で2通応募し、その友人の名前と住所を無断借用して応募していたのだった。
「あ、それオレよ。済まん、済まん」。
でも、3通出したうちの二つが当たった。何通応募があったのだろう。
彼からサインボールを受け取り、同じくドラゴンズファンの友人にプレゼントした。
そんな30年以上前の昔話を思い出した。