ジュリーを始めて認識したのは、勿論ザ・タイガースのジュリー。沢田研二さんだ。
20代の頃、出来たばかりの砥部の体育館でバレーボールのワールドカップを見に行った。
カードの一つは日本vsアルゼンチン。「これがサッカーやったら凄いが・・・」と話していた。勿論、日本の圧勝だった。
もう一つのカードはポーランド。実質、バックアタックを始めたボイトビッチを生で見た。晩年だったが迫力満点。
その時買ったプログラムに、大会規定があった。現役プレイヤーだったし、審判資格も持っていたから、興味深く読んだ。
そのなかで、成績は勝敗で決め、勝敗が同じ場合はセット率で、セット率が同じ場合は時失点率で決めるとあった。そして「
得失点率が同じ場合はジュリーが決す」とあった。何で沢田研二さんに決める権限があるの?と思った。
大会役員にジュリーというのが居た。
両チーム優勝などの決定をジュリーという大会役員が決するということを何かで知った。
そして今回のロンドン五輪の柔道の試合中に再々出てくるジュリー。試合を止めて、その間にビデオを観て、審判の判定が変更になる。酷いときには技ありが全くの取り消しに。
挙句、旗判定の青3本が、白3本に。畳の上の3人の審判って何なんだろう。
勿論、青3本が的確なジャッジだとは思わない。でも、「なんだかなあ」。