自治会の会合があった。「中割り」と呼んでいる。
午前中に役員さんが集まって、計算をする。昼前に班長さんが集金の明細を持って来てくれる。そして「12時からと」と開始時刻を確認してくれる。
お釣りが要らないように用意し、12時丁度に公民館へ行く。区長さんにお金を渡すと、大広間へ。もう既に昼食というか
飲み会が始まっている。
パックを開け、それを食べながら
ビールを注ぎ合う。
どうしても自然に地震の話になる。
隣に座った10歳近く年下のTちゃんが今日は快調。皆にコップを空けて差していく。「今日は中割りやろ、
飲みやいやないんやろ」「中割りやのうて、仲悪になるぞ」とKくん。Tちゃんはますます調子が良くなる。「鶴翼の陣を引いてやっつけるかな」と。
漁業を営み海のことに詳しい先輩と高校の一つ先輩と津波の話になる。
高校の先輩は1946年の南海地震のもう一つ前の津波も先祖に聞いたことがあるらしい。そのときも床下浸水程度の津波だったらしい。
漁業の先輩は「南海地震の震源地は高知沖の確率が高い。そうなると豊後水道を進んだ津波が大崎鼻や佐田三崎半島に当たってからこの湾に入ってくる。だから今までの津波と変わらないのではないかと思う」と。
1946年の南海地震では1mほど高い所にある我が家の前の家までは下駄が浮いたと祖父母から聞いている。
結論としては、避難場所はお地蔵様で良いだろう。そこで孤立しても水は隣の谷の池で何とかなるだろう。お地蔵様にマッチはあるから、要らなくなった大きな鍋を後ろの方に転がしておこう。米も常に供えるようにしておこうか。